ブログで顔出しすべき?フィンランド起業と日本のルッキズムについて考えた

ブロガーは顔出しするべきか問題

みんみ
みんみ

迫られています…起業家コースの先生に…ブログでの顔出しを…!

先日、フィンランドのハローワークが主催する起業家コースに通っていると書いた。

キャリアチェンジ、向かう先私のミニマリズムとキャリアチェンジ。持たないことで自由を手に入れる。

ブログなどで地元企業やアーティストを紹介するビジネスを考えているのだ。
しかし悩んでいることが1つある。

ブログの顔出し問題だ

起業家コースの先生に、「フィンランドでSNSを使って起業したいなら、顔出しは必須!」と言われてしまったのだ。

正直、顔を出すのは抵抗がある。
抵抗があるというより、怖い。
さて、どうする。

とういうわけで今回は、ブログの顔出しと、日本のルッキズムについて考えてみた

フィンランドでブログ起業するなら顔出しすべきか問題

カメラを持つ女性

私が通っている起業コースでは、事業計画書の作り方、予算の組み方などと一緒に、SNS*を使ったマーケティングについても学ぶ。
*ブログ、ツイッター、インスタグラムなど

そこで驚いたのは、「プロフィール写真は絶対にいる」と講師陣が口を揃えて言ったことだ。

私はアイコンを使っていて、顔は晒していない。
日本ではアイコンのみのブロガーは山のようにいるし、ふつうでは無いだろうか?

みんみ
みんみ

どもー。

ある講師に「アイコンではダメですか?」と聞いてみた。
返って来たのは「顔を出した方が信頼されるし、メリットも大きい。アイコンでは仕事を得られないかもよ?」という渋い答えであった。

それでも、(日本は事情が違うから、アイコンのままでいっか)と流した。
しかし、別の講師から「ブログにプロフィール写真がないじゃない、どうして?」と言われてしまった。

アイコンを見せると、講師は私を見てハッキリ言った。

「Tämä toimii Japanissa, mutta ei toimi Suomessa.」
日本では通じるかもしれないけど、フィンランドでは通じない

その時もまた(日本は事情が違うから)とスルーした。

しかし、その講師に会うたびに「どう、覚悟はできた?」と聞いてくるので困ってしまった。

確かに、プロフィール写真があった方が良いに決っている。
しかし、顔出しはしたくない。
さて困った。

顔出しのメリット、デメリット

顔を見せるということ

日本語で「ブロガー 顔出し」と検索すると、顔出しをすすめるブログ、すすめないブログ、メリットとデメリットを比較するブログなどが多くヒットする。

いくつかの記事をまとめると、
「顔は出した方が良いに決っている。でも、出さない方が良い場合もある」
に集約される。

私の場合、ブログで顔出しをするメリットは

  • 信頼を得られる
  • ブログ以外の仕事にも繋がりやすい
  • 海外(フィンランド)で活躍しやすくなる

となる。

デメリットは、

  • 身バレする
  • 身バレすると書く内容により気を使うようになる
  • 見た目に対して嫌なコメントをされる可能性がある
  • 写真を悪用される可能性がある

などが上げられる。

こう書くとデメリットの方が大きい。
しかし、フィンランドで仕事をするには、プロフィール写真の存在はでかい。

顔出ししたくない理由→日本のルッキズム

鏡を見る女性

私が顔出しに抵抗を感じるのは、日本のルッキズム(外見至上主義)が関わっている

ルッキズム(英: Lookism)とは、身体的に魅力的でないと考えられる人々に対する差別的取り扱いのことをさす。こういった差別は主に職場で観察されるが、その他の社会的環境でもみられる。

ルッキズム – Wikipedia

「ブロガー 顔出し 女性」と検索した時、「美人ならメリットはあるが、ブスは辞めた方が良い」という意見が多かった。
「女性の場合は見た目が良くて、若くないとダメ」、とハッキリ書いている記事まである。

私は「やっぱりね」と思った。

この「やっぱりね」は「美人はOK、ブスはNG」に賛同するものではない。
ほら、こういう人がいるでしょ?という意味だ。

私はこういう意見をブログに書く人を軽蔑する 残念に思う。
しかし、これも一部の日本人の意見を代弁したものなのだろう。

補足
軽蔑と書きましたが、思えば自分も昔は同じように考えていた時期もありました。仕方ない面もあると思います。

様々なブログに、日本のルッキズムの深刻さを垣間見る。
どうして自分の写真を載せられようか!?

一方フィンランドのブロガーは

フィンランドのブロガーは?

一方フィンランドのブロガーは顔出ししている人が多い。

顔を出さずにやってる人もいる。
しかし日本よりは顔を晒すのが一般的だ。

↓フィンランドのブロガーのリスト

参考 Suomen seuratuimmat bloggaajat InstagramissaBrandSome

参考 BloggaajatBELLA-BLOGIT

フェイスブックでも、日本人は顔をハッキリ見せないプロフィール写真が多いが、フィンランド人は自分の写真がほとんど。

彼らの見た目だって、日本人と同じように千差万別。
モデルのようなファッションブロガーもいるし、そうでない人もいる。

それでもフィンランド人の写真は、顔や体型より、

  • いかに楽しそうに見えるか
  • いかにその人らしい雰囲気を伝えられるか
  • いかに写真として美しいか

などに力を入れているように見えた。

私はブロガーたちの写真を見て、どの人もユニークでステキだと思った。
私が彼らを美しい、美しくないと判断するなんて、おこがましいし、したくもない、とも思った。

なぜ日本は、こんなに自分や他人の容姿のことばかり言うのだろうか、と悲しくなった。
そして、そんな考えにバッチリ縛られている自分も恨んだ。

「フィンランドと日本の「美しい人」の違い/mino」

そんな中、フィンランド在住のminoさんのコラムを読んで、今まであったモヤモヤを代弁してもらったような気持ちになった。

フィンランドと日本の「美しい人」の違い/mino – She is [シーイズ]

わたしの周りのShe is世代のフィンランドの男女に「美しい人とはどんな人か?」と聞くと、このような答えが返ってきます。「自分らしく生きている人」「自分のやりたいことに正直で、自分の力でそれを切り拓いていく人」「自分の良さをわかっていて、それを上手に生かしながら生きてる人」「強い自信と優しさを備えている人」ーーー

一方、日本社会で共有される「美しい人」のイメージは、どうでしょうか。透き通るように白く毛穴のないサラサラ肌と、ダメージのないツヤツヤとした髪の毛を持ち、スラリとした筋の通った高い鼻に、長いまつ毛のくっきり二重、手足が長く華奢でムダ毛がない身体、そんな女性を「美しい人」としてメディアは取り上げ、企業は宣伝に起用し、人々は無意識に、絶対的で画一的な基準として頭の中や心の中に取り入れてしまってはいないでしょうか。

フィンランドと日本の「美しい人」の違い/mino – She is [シーイズ]

私はフィンランドに来て「人の外見にコメントすることの無意味さ」を学んだ1人だ。

フィンランド人が外見にまったく無頓着ないわけではないが、日本より気を払わないし、思っても口にしない。
それは違って当然、比べることは意味が無い、という考えなのだ。

テレビを見ていても、日本のように顔や体型を揶揄するものが少ないので安心して見ることができる。

補足
残念ながらゼロではない。 私は何度「○○人?」といきなり聞かれたかわからない(汗)。

フィンランド人が幸福な国なのは、自分のユニークさを認める背景が強いのも関係しているかもしれない。

参考 2019年の世界幸福度、フィンランドが2年連続1位 日本58位ロイター

「カルチャー顔」炎上で希望の光を見る

ところで、先日ツイッターなどで「『カルチャー顔』が好きで好きで好きで。モトーラ世理奈を見ると胸が痛くなる」という記事が炎上し、ライターや掲載したウェブメディアが謝罪する騒動があった。

 騒動の発端となった記事では、野田氏が自身の好みの顔を「カルチャー顔」と称し、「美しさの中に歪みがある」「2枚目でもなければ、3枚目でもない。でも、整っている」「影がある」「弱さがある」「ベッドで見たときにめちゃくちゃカッコいい、美しい」と独自の基準で定義付けした。

該当記事についてSNS上では、「彼らの価値を見かけのみで判断している」「カルチャーをぞんざいに扱っているのではないか」「主観的なカテゴライズなのでは」といった批判が殺到。

「カルチャー顔」記事に批判殺到で掲載取り下げに! 小袋成彬「まずお前が馬鹿にした俺に謝れよ」 (2019年5月2日) ” site=”エキサイトニュース

参考 「カルチャー顔」記事に批判殺到で掲載取り下げに! 小袋成彬「まずお前が馬鹿にした俺に謝れよ」 (2019年5月2日) エキサイトニュース

参考 「美しさの中に歪みがある」モトーラ世理奈らの容姿綴った”カルチャー顔”記事に批判集中、ウェブメディア「ドンクライ」が謝罪FASHIONSNAP.COM

日本でも「人の外見にコメントすること」や「人を外見でジャッジすること」は良くないという認識が広まっているとわかった。

私は希望の光を見た

記事で名指しされた人はお気の毒でしたが…。

ルッキズムの呪縛はなかなか解けない

それでも、日本の友人が「○○はたいして美人でもないのにセルフィーをSNSに載せているのはどんな心理だ」と言っていたのを思い出し、心が沈んだ。

やはり日本は「なんだかんだで、見た目でしょ」という空気がまだ根強い。

この無意味な外見批判と、自己否定を増やすだけの、だれも得をしない習慣はなんなのだろうか
なぜ、みずから不幸になろうとするのだ。

日本も少しづつ変わっている。
しかし、ちょっとゆっくり過ぎやしないか。

結局、プロフィール写真は載せません

と、ここ一週間、プロフィール写真を巡ってあらゆることに考え、ためにしにセルフィーも撮ってみた。
それでも、しばらくはプロフィール写真は載せないことにした。

いくら講師にプッシュされようとも、自分が納得しないと後悔すると思ったからだ。
いつか、自分らしい写真が撮れたら載せてもいいかな、という感覚でいる。

果たして、私のビジネスはどうなるのだろう。

みなさんはブロガーの顔出し、どう思いますか?

ではまた。