Free and Lightの管理人、みんみです
このページでは、
- みんみのプロフィール
- ブログをはじめたきっかけ、ストーリー
- みんみの生い立ち
を書いています。
「このブログ書いてるのってどんな奴?」と思ったらお付き合いください。
みんみのプロフィール
名前 | みんみ |
年齢 | 三十路 |
住んでるところ | 北フィンランド |
出身地 | 神奈川県 |
言語 | 日本語、フィンランド語、英語(少し) |
好きなこと | 読書、ラジオ、ネットフリックス鑑賞、ハッピーな犬を見る |
簡単な年表
2007年: 日本で美術大学卒業。デザイナーとして就職
2009年: 転職。コーダーになる
2011年: 結婚してフィンランド移住。移民向けフィンランド語学校へ行く
2014年: フィンランドで工科大学に入学
2018年: 工科大学卒業。病院で働きはじめる
2019年: ブロガーになる
2020年〜:ブロガーをしつつ工科大学に再入学
ブログを始めたきっかけ/ストーリー
「病院の仕事、辞めたい。」
すべてはこの思いから始まりました。
ここではブログを始めるまでのストーリーを紹介します。
辛い病院勤務
2018年、私はフィンランドで大学を卒業し、病院で臨時職員として働きはじめました。
フィンランドに移住して7年目のことです。
こう書くと「すごい!」と言ってくださる人もいます。
しかし、資格こそ持っているものの、フィンランド語オンリーで仕事をするのは超ハードでした。
毎日パニックを起こしていたと思います(汗)。
しかもミスが許されない環境とあって、ストレスはかなりのものでした。
一生懸命だったことは間違いありません。
しかし、常にこんな思いを抱えていました。
せっかく資格取ったのにアレだけど…
この仕事に向いてないし、辞めたい(泣)。
結局、病院では8ヶ月ほど働き、契約は終了。
無職になると、心にぽっかり穴が開いたような状態になりました。
この時はブログのブの字も考えていませんでした。
病院に戻りたくなくて悩む
契約が終わった後、すぐ就活をはじめました。
しかし、仕事に応募しようとすると手が止まってしまいました。
「病院に戻るのはイヤだ!」という気持ちでいっぱいになってしまうのです。
夫に相談しました。
病院の仕事、向いてないし、もうやりたくないかも。
というか病院に戻るの怖い…(泣)。
話しているうちに、号泣していました。
その後もいろいろ話し合い「そこまでやりたくないなら」と、病院への再就職はしないことにしました。
ホッと一安心する私。
しかし、経済的なことを考えると主婦になるわけにもいきません。
さあ、どうしよう?
この時、少しブログが頭をよぎるのですが…。
ハンドメイド作家を目指す?
そんなある日「そうだ、ハンドメイド作家になろう!」とひらめきます。
日本で、minneなどの手作り品販売サイトが流行っていたのを聞いたからです。
かなり稼いでいる人もいるそうじゃないですか。
ということで「刺繍のついた小物の販売」を目指し、ハンドメイドに全精力をそそぎはじめます。
一ヶ月ほど毎日ひたすら刺繍をしていました。
よし、これで稼ぐぞ!
私は燃えていました。
しかし、ある朝のこと。
あれ、肩が痛いなぁ。
寝違えたかな?
ストレッチしよう…。
グリン(肩を回す)。
「ウッ…!」
…痛すぎて悶絶。
刺繍のやりすぎで、30代で五十肩になりました(あぁー泣)。
病院に行くと、先生に「刺繍禁止令」を出されます。
閉ざされるハンドメイド作家への道…。
腕が伸ばせないから、病院にも戻れなくなっちゃった…。
一言。
アホですね。
体はちゃんと労りましょう。
今の私にできること→ブログ?
五十肩になったので、ハンドメイド作家は諦めざるを得ませんでした。
この状態でやれる仕事って?と毎日モンモンとしていました。
五十肩、死ぬほど痛いからね?
そこで目をつけたのが趣味でやっていたブログ。
実は数年前にブログをやっていて少し収益が出ていました。
しかも、とても楽しかった。
ブログをもう一度できないか考えました。
パソコン作業なら肩も(比較的)痛くならない!
また、当時はヴィーガンになったばかり。
環境問題のことなど、日本のみなさんに伝えたいことが山程ありました(今もあります)。
ブログ飯できたら、最高なんじゃん!?
…ということで独自ドメインを取得して、本格的にブログを書き始めることにしました。
そして今に至るということです。
なんかトホホなストーリーですね…。
みんみの生い立ち
赤ちゃんの頃は常に頭が逆だっていました。
ここでは、みんみの幼少期からの生い立ちをまとめています。
興味ある方だけどうぞ!
とっちらかった少女時代
神奈川県の小さな街で育ちました。
子どもの頃は偉そうな態度のガキでした。
(大人に意見、帰りの会でクラスメイトを糾弾するなど…汗)
中高では落ち着きましたが、人間関係のトラブルが多かったです。
ちょっと変わった子どもでした。
人間関係のストレスから逃れるように、十代は本やマンガ、映画にのめり込みました。
当時好きだったマンガは『あさりちゃん』です。
都内の美大へ入学
高校になってもマンガや映画熱は冷めず、「クリエイティブな仕事がしたい」と美大に行くことにしました。
美大系予備校では、デッサンや色彩構成をやりました。
がんばったけど、なかなか伸びませんでした。
唯一残ってるデッサンの形跡。一生懸命描いたんだよ。
結局、絵がうまくなくても入れる学部に入学。
美大には個性的な人がたくさんいて、メチャメチャ楽しかったです。
サブカル野郎になる
美大生時代は旅行記を読み漁り、中央線沿線にロマンを感じるサブカル野郎でした。
そのころ好きだった2冊。
夫との出会い
そんなある日、友人と都内のバーに行きました。
そこで夫と運命の出会いを果たします。
電話番号を交換して、遊ぶようになりました。
そして、なんだかんだで付き合うことに…(省略しすぎ?)。
会社員時代
美大を卒業したあとは、小さな会社に広告デザイナーとして就職しました。
夫はフィンランドに帰国し、遠距離が始まります。
私の遠距離国際恋愛が成功した理由と6つのアドバイス【日本-フィンランド】
結局、最初の会社は1年ほどで辞め転職。
そのころ夫が来日するも、失敗に終わります。
こちらの記事に詳しく書いています。
日本移住に失敗!フィンランド人の夫が帰国を余儀なくされた5つの原因
この頃から、やましたひでこさんの『断捨離』を読み、ミニマリズムにハマりはじめました。
フィンランド移住
その後、別れの危機を迎えながらも2011年に結婚。
私はフィンランドへ移住することになりました。
楽しい移民学校
移住した後、移民向けのフィンランド語学校に通いました。
学校では、数十カ国もの国の人と出会う貴重な体験をすることに。
文化の違いからイラつくこともありましたが、世界がメチャメチャ広がりました。
日本人に合掌する外国人と裏切り-フィンランド移民学校で差別体験
割り込みも文化の違い?フィンランドの移民学校のマナーで悩んだ話
地獄のはじまり…工科大学入学
しかし、楽しい移民学校は3年で終わりです。
私はフィンランドの工科大学で医療系の資格を取ることにしました。
移民学校では優秀だったのに…
なんとか入学は果たすものの、大学で自分のフィンランド語レベルの低さを思い知らされます。
泣きながら勉強し、なんとか卒業しました。
途中で辞めて方向転換すれば良かったかもしれません(汗)。
フィンランド留学で落ち込まないために。経験者が送る5つのアドバイス
学生生活はまあまあ楽しみました。
フィンランドの大学生が着ている「つなぎ」の正体。色やワッペンの意味は?
フィンランドの学生パーティ/イベントで浮かずに楽しむ4つの方法【留学生向け】
病院で臨時職員として就職
卒業後はサマージョブをやった病院で働くことができました。
【経験談】フィンランドでサマージョブを得るための7つのアドバイス
なんだかんだで9ヶ月ほど働きましたが、職場ではトラブルメーカー。
いつも「向いてないなぁ」という思いを抱えていました。
2018年夏に契約が終了すると、方向転換を決意。
そして今こうしてブログを書いているというわけです。
2017年11月ヴィーガンになる
病院で働いていた2017年11月にヴィーガンになりました。
きっかけは一つではありませんが、『カウスピラシー』という映画を見たことが大きいです。
またフィンランドで報じられている畜産業が与える環境負荷を、日本ではまったく報道されていないことにも気づき「これはどういうこと?」と思ったことも大きいです。
そのころから食と環境、倫理の問題を伝えたいと思うようになりました。
ブログを本格的にやろうと思ったきっかけの一つでもあります。
…以上が私のストーリーです。
最後まで読んでくださり、ありがとうございます。
ハッキリ言って私の人生は決して褒められたものではありません。
しかし、このような人間でも楽しく生きていると、ブログで伝えられればと思います。