犬を飼う資格がなかった私 | Free and Light

犬を飼う資格がなかった私

ヴィーガンと言うと、さぞや動物好きだと思うかもしれないが、動物は好きというより怖い。猫や鳥は何を考えているかわからないから怖い。馬は牛はその大きさにビビる。その他は…とにかくちょっと怖い。

でも犬は大好きだ。見かけると目で追ってしまう。犬には思い入れがあるのだ。

なぜかトイレを失敗するリサ

小学3年生の時、うちに犬が来た。私がねだったのがきっかけだが、親にも考えがあったのだろう、隣町のブリーダーから子犬を買った。マンションの室内で飼える小型のテリアである。家族会議の末、名前は「リサ(仮)」になった。飼った当初、リサは両手に収まる大きさで、動くぬいぐるみのような姿がとにかくかわいかった。

初日、リサはカーペットにおしっこをした。その大変さに気づいた私たちは、トイレトレーニングを最重要事項においた。母が買った犬の本に「トイレ以外の所でおしっこをしたら叱る。トイレでしたら褒める。」とあったので、実行することにした。

トイレは部屋の片隅に吸収シートを置く形にし、リサが用を足しそうな様子を見計らってトイレに誘導するなどの工夫をしながらも、トイレ以外のところで用を足せば「ダメ!」と叱り、トイレですれば「いいこいいこ」と褒めるようになった。リサは私たちの反応から多少学んだようだったが、それでも玄関や部屋の隅で用を足し、家族を怒らせた。叱っても、褒めてお菓子をあげても、気まぐれに場所を変えるので、おしっこやフンを踏んづけてしまったことは数え切れない。

しかし叱られる恐怖は確実に覚えるらしく、誰かがリサがトイレ以外の場所で用を足した痕跡を見つけ「あ~!」と言うたび、縮こまってあまり叱らない母に助けを求めていた。それから2年後、一軒家に引っ越して、庭で用をたすようになったので状況は改善されたが、室内ではよく洗面所やテーブルの下で用を足していた。

大学3年の時、リサが死んだ。この時は涙が止まらなかった。

「もっと散歩に行ってやれば良かった」
「もっと遊んでやれば良かった」
「もっと優しくしてやれば良かった」

あらゆる後悔が押し寄せてきた。家族全員が悲しみに包まれた。別れが辛すぎて、もう犬は飼わないと誰もが思った。

犬がトイレを失敗するということ

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しかし数年後、ある日家に帰ると玄関に犬がいた。見知らぬ中型犬が、キラキラした目でお出迎えをしてくれた。

「へ、犬?」

母に聞くと、犬の保護活動をしている知人に引き取ってくれないか頼まれたという。お試しで数日飼ってみて、難しいようなら断れるらしい。その犬は3歳の成犬で、ロン(仮)という名前がついていた。ロンは「世界中のハッピーを集めました!」という感じの陽気な犬で、誰にでもシッポを振り、だっこをねだり、ボールを投げてやれば大喜びした。2日もしたら、当たり前のような顔をしてソファに一緒に座り、私の脚に顎をのせてきた。

家族全員、このハッピードッグにほだされてしまった。里親をたらいまわしにされたら不憫だという気持ちもあり、ロンは家族の一員になった。

リサが死んでからブランクがあったので、私はネットで「犬の飼い方」を調べた。たまたま開いたサイトのしつけの項目に、「犬はトイレを叱られても理解できない。逆に隠れてするよるようになる。」と書いてあり、「あ!」と声が出た。

リサが妙な場所で用を足していた理由が10年以上経って解った。私たちが叱るから、隠れて用を足していたのだ。リサは悪くなかった。原因は飼い主だったのだ。

片手でひょいと持ち上げられる大きさの小型犬が、人間に叱られるのは、それはそれは怖かったであろう。かわいそうなことをした、とやるせなくなった。

私は「ロンは叱らず、成功したら褒めるに徹しよう」と両親に伝えた。両親もリサが死んでから、犬に関する知識はアップデートされていたようで、「そうだね」と言った。その2年後、私はフィンランドに引っ越したが、ロンが叱られたのは道で拾い食いした時くらいだ。

今でもリサを思い出すと申し訳ない気持ちになる。知識がぜんぜん足りず、知ろうともせず、怖い思いをさせていた。私には犬を飼う資格がなかったのだ。犬を飼うの人は、ネットでも本でもいろんな情報を見て、正しい知識を身につけてほしいと思う。

人の家の犬に口出しはできないが、飼い主の対応にギョッとして、一言言いたくなってしまう時がある。犬を買うのは免許性にしても良いぐらいだ。道端で犬を見ると、リサを思い出し、その子の幸せをいつも願う。