物乞いに関する雑感とローマでバラ売りとケンカした思い出

Roma

※これは過去運営していたブログの記事(2014年)をリライトしたものです。

2014年、ローマ、ストックホルムを旅行した。

どちらも素晴らしい旅だったが、驚いたのがローマ、ストックホルムの物乞いの多さである

ローマは覚悟していたが、飛行機で一時間しか離れていないスウェーデンに多くの物乞いがいたのは意外だった。ヘルシンキには中央駅の周りに数人いるが多くはない。

 

ストックホルムの物乞いは女性が多かった。カラフルだがみすぼらしい格好で、物乞いだと一目で解るので、探すまでもなく目に飛び込んで来た。

大半は道に座って小銭入れるカップをゆすっているだけだが、中にはオープンカフェでくつろぐ人にカップを差し出して回っている物乞いもいた。小さな子供の写真を掲げて「お恵みを」とやる人も見かけた。

美しい町並みに夢心地になった中、彼らの姿を認めるとハッと現実に引き戻された。気にしないようにしても、やはり心が動いた。

物乞いにお金を渡すべきか

boats in sweden

物乞いを見ると「彼らにお金をあげるべきか」と悩んでしまう人も多いだろう。ただ道端に座っている健康そうな若いやつならそれほど悩まないが、老人や身体が不自由な人となると葛藤は大きくなる。

「きっと苦労しているんだろう」
「小銭くらいならあげてもいいかな」
「あげない私って冷たい?」
いろんな感情が頭をめぐる。

でも、私は絶対あげないと決めている。なぜなら、自分が対価を受け取るか、行き先がクリアな慈善団体に募金する方が良いと考えるからだ。

そう思うようになったのは物乞いに関するBBCドキュメンタリーを見たことが影響している。
その番組ではロンドンの路上で物乞いを行う子供たちを追跡し、次のようなことを紹介していた。

  • 物乞いは実は稼げる仕事(ドキュメンタリーによると1日200~300ポンド、多くて500ポンドは稼ぐらしい)
  • 実はお金を持っている物乞いも多い
  • 子供を学校に行かせず物乞いをさせる親も多い
  • 子供を誘拐し、物乞いとして働かせる場合もある
  • 物乞いさせる子供を人身売買している
  • マフィアが物乞いを取り仕切っている

自分があげた小銭が思わぬ使われ方をすることもあるのだ。これを見れば、あげないことが冷たい選択ではないことが解る。

ただ物乞いについてネットで調べていると、

マフィアが関わっているとか言うけど、自分のあげたくない気持ちを正当化してるだけでしょ?

苦しんでいる(ように見える)人を見て、心が動かないのはちょっと冷たい。

働きたくても働けないから、ああしているんだ。余裕があるなら恵むべき。

あげたければあげる、あげたくなければあげない。それだけ。

という「あげる派」もしくは、「あげることを否定しない派」の意見も見かけた。
きっと、こういう良心を糧に物乞い業界はまわっていくのだろう。
(ただこれは地域にもよると思う。実際にそうしないと生きていけないこともあるだろう。)

良心を持つのは良いことだ。目の前にいる苦しんでいる人に何かしてあげたい、という純粋さも大切にしたい。

でも自分のお金が犯罪につながる可能性があるなら、「あげない」を選択をしてほしいと私は思う。
(うーん?と思ったら「Britain’s Child Beggars」というBBCドキュメンタリーを検索してみてください。英語ですが。)

また1人にあげると、私も私もと取り囲まれることもある。全員にお金をあげることはできない。また取り囲まれるようなリスクは負うべきではない。海外では誰かを助ける前に、自分を守る事を優先するべきだ。

ローマでバラ売りとケンカ

スペイン広場

あげないと決めている私は、物乞いに寄って来られたらすぐNOの意思表示をするようにしている。

まごついて相手に期待させてしまうと「なーんだくれないのかよ、ケッ」と、お互いに気分が悪くなる。これはローマでバラ売りとケンカして学んだことだ

夫と2013年6月にローマ旅行した際、バラの花束を手にした移民と見られる男性を多く見かけた。

バラ売りは観光地にいるカップルに片っぱしから声をかけていた。どうやら「あなたの彼女はとっても美しい。バラを一本プレゼントさせて」と言ってバラを差し出しているようだった。怪しさ満点だ。

旅行最終日、私たちにもバラ売りがやってきた。

スペイン広場の階段をあがったところで景色を眺めていたら、バラを抱えた男性が近づいてきた。私に向かって「あなたはとっても美しいですね。バラをプレゼントさせて!」と言ってバラを手にもたせようとしてきた。私は「いりません」と強く拒否。

すると今度は夫に向かって「ステキな彼女にプレゼントしなよ!タダだよ!」とバラを差し出した。やれやれ…と思っていると、なんと夫が受け取ってしまった!

(バカバカバカ!なんで受け取るんだ!)と思いながら行方を見ていると、案の定お金を要求してきた。

「ちょっとでいいから、恵んでよ!お願い!」

タダなわけないのだ。が、夫はお金を使うのが大嫌いである。夫はポケットをまさぐると、20セント硬貨(30円くらい)を彼に差し出した。

フィンランドではバラ一本3ユーロくらいするのに…さすが夫、ケチである。もちろん20セントにバラ売りが納得するはずはない。

「少な過ぎる。もっとお願い!」

夫は20セントが予算だったのか(低い笑)、バラを返そうとするが相手は受け取らない。

仕方なく、欄干にバラを置いて立ち去ろうとすると、今度は別のバラ売りが雄牛のように突進してきた。このバラ売り②は強引に私の手にバラを持たせようとする。

「いらないって!」

と叫んで押し返すと、手に持たせるのは諦め私のバックパックの肩ひもにバラを刺し込んできた。しばらくバラを肩ひもに差し込む、押し返すが続いた。

最終的に今すぐ立ち去るのが一番だと気づき肩ひものバラと、夫のバラとを地面に置きスペイン階段を降りようとすると、

スチューピッド(バーカ)!!!

と、バラ売りに言われた。

ムカっとしたが、相手に気を持たせることはした夫…私たちは確かにバカだった。

フィンランドではこういうことは起きないので、夫も警戒しながらも受け取ってしまったのだろう(新婚旅行だったのでバラをプレゼントするのも良いと思ったのかもしれない、また彼らのバラを手に持たせる技術もすごい)。今思うと、バラ売りに囲まれたりしなくて良かった。

相手の要求を飲めないのなら、最初からシャットアウトすべきだったのだ。また家族、友人と一緒に旅行をする場合は、物乞いへの対応は統一しておく必要があることも学んだ。「えっと…どうしよっかな」なんて態度で、あげないを選択すると相手を怒らせてしまう。

 

日本で物乞いを見ることは殆どない。

なので旅行先で物乞いを見ると、驚きと悲しみで戸惑うものだ。哀れな彼らの姿に、あげるか、あげないか悩むだろう。

哀れな姿は演出か?いや本当に貧しいのかもしれない…

もし悩むのなら、あげない方を選択するべきだ。考えたところで本物の貧困かどうかも、犯罪へつながる可能性があるかも解らないからだ。

それに物乞いがいるエリアの住民にしてみれば、物乞いも、彼らに恵んでしまう観光客もいい迷惑だろう。あなたの住むアパートの前に、経営しているカフェの前に、いつも物乞いが座っていたらどう思うだろう?

それでも気になるのなら、帰りの空港で赤十字やユニセフに募金しよう。これらの機関はプロフェッショナルな視点からあなたの何倍も恵まれない人たちのことを考えて行動している。素人の一時の感情で、どこで搾取されるかも解らない小銭を渡すよりよっぽど有意義だと思う。

物乞いに渡すお金が、必ずしも彼らを幸せにするわけではないことを知っておきたい。


…と、素人の私はストックホルムで感じて帰って来た、というお話である。

4年ほど前に書いた記事だが、当時のショックが伝わってくるので再掲載した。

物乞いに関しては、未だにどういう対処が適切なのか解っていない。彼らのことを考えるたびに、世界にある問題の多様さ、複雑さに胸がいっぱいになる。本当にどうすればいいんだろうね。。。

ではまた~

 

何巻か忘れたが、深夜特急に物乞いとお金を半分に分けるという印象的な話があったな。